桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿

それってもしかして私のこと?

5・7・5(俳句と川柳)

大自然 17文字に 詠む世界 

          てれんぱれん

俳句や川柳は、しっかり勉強すると楽しく奥深いものでしょうね。一日中のできごとが全部、俳句や川柳などになりそうです。

俳句と川柳の違いは、日本俳句研究会によると、以下のようです。(以下引用)

〈季語の有無〉                                   

 俳句では季語は、ほぼ必須とされていますが、川柳では無くても良いです。

〈切れ字の有無〉

 俳句には句を切るための「や」「かな」「けり」といっ切れ字が重要とされていますが、川柳では切れ字は重要視されていません。

〈文語体と口語体〉

 俳句は書き言葉の文語体が一般的ですが、川柳では話し言葉の口語体が一般的です。これは切れ字が文語体であるためです。

 日常会話で「名月や」「広野かな」なんて言葉は使いませんからね。

〈自然と人事〉

 俳句は自然や四季を詠むものですが、川柳は人間模様や社会風刺を題材にします。

 サラリーマンの悲哀や苦労を描いたサラリーマン川柳などが人気です。

 また、俳句のように余韻を残さず、自分の気持ちをストレートに表現するのも特徴です。

〈境界はあいまい〉

 川柳は俳句と同様、俳諧連歌を起源とします。

 五・七・五の定型詩であることも共通しています。

 このため、両者の違いはあいまいで、きっぱり線引きするのは難しいです。

 自分では俳句のつもりで作ったのに他人から「いい川柳だね」と言われることもあります。(引用終わり)

「スミレ」という記事で、以前、私はスミレは強いと書いたのですが、自分で俳句と言えるのか川柳ではないのかと考えながらのものでした。悩みつつ思い出したのが、芭蕉先生の↓下の句です。芭蕉先生によると同じスミレでも全く違う趣の句になります。(当たり前ですね。)

 

山路来て 何やらゆかし すみれ草

            松尾芭蕉

スミレの清楚なひっそりと咲く感じがよくわかりますね。人知れず、でも凛とした佇まいのスミレが思い浮かびます。

 

外出したときに、ん?と気になるものや風景を写真に撮ります。その、ん?の気持ちを皆様にお伝えしたくて俳句にしています。たぶん。美しい写真には癒やされますから、できるだけ自分がきれいだと感じたりおかしみを感じたりするものを撮りたいと思っています。俳句はちょっと油断すると標語みたいになってしまい情緒も何もなくなります。なかなか、ん?をうまく表現できません。文才がないのかも。年齢を重ねると、同じものを見ても若い頃とは違った気持ちになることを感じつつ、感受性というものも変化していくものだということを考えます。「〇〇のセンス」にもピーク年齢があるそうです。気にしてはいられません。若い人は気にしたほうがよいかも、ですが。

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