桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿

それってもしかして私のこと?

木曽川

木曽川の 名は木曽川で 木曽川

呼んでほしいとの 願いはないか

          てれんぱれん

木曽川を「日本ライン」と呼ぶのは、観光に使用してきた呼び方なのだろうと推察しますが、自分の中に違和感がありました。今はもうありませんが木曽川下りを「日本ライン下り」と名付けていましたし、名鉄にも「日本ライン今渡駅」があります。昔は、「日本ライン上り」も「ライン遊園駅(現可児川駅)」もあったらしい。

いつの頃かはわからないけれど、ドイツのライン川に肖り「日本のライン川」と呼ぶことで観光客を呼び込むためのものだったのでしょうか?(昭和のはじめ頃には日本ラインという呼称は定着していた?)

木曽川を観ながらそんなことをあれこれと考えていたら、北原白秋木曽川という紀行文?があり、その中で、私と似たようなことを感じていたことを知りました。

(以下引用)

 昔と今と、変れば変るものだと、私は思う。そうだ、あの頃はまだ日本ラインという名すらさして知られてなかったのだ。

日本ラインという名称は感心しないね、卑下と追従(ついしょう)と生ハイカラは止(よ)してもらいたいな。✕✕がライン川をドイツの木曾川とも蘇川(そせん)峡とも呼ばないかぎりはね。お恥(はず)かしいじゃないか」

「そうですとも、日本は日本で、ここは木曾川でいいはずなんで」

 木曾川橋畔(きょうはん)の雀のお宿の主人野田素峰子(そほうし)が直(すぐ)と私に和した。

「みんながよくそういいますで」

(引用終わり:初出は新聞の連載?の『木曽川』1927年?。その後いくつかの過程を経て、↑は、青空文庫webとなりそこからの引用です。✕✕は現代では不適切な表現。ドイツ人を貶め敵対する気持ちは私にはありません。自分の違和感は、この、ドイツと日本を対等な国と考えてはいないような、木曽川ライン川の扱いに近いものだったのだとわかりました。)

日本ライン」と冠されたものはたくさんあり、その呼び方は地域に浸透したものであるとはいえ、「小京都〇〇」と同様、より有名な観光地のネームバリューに肖ろうという姿勢はどうなのだろうと世の中にあるその類のことにひっかかるのが、昔の人もそうなのだということに少しほっとしました。それとも北原白秋は、「日本ライン」は外国の川だから良くないけれど、「小京都」は日本の観光地だから容認という方だったのでしょうか?と想像は続きます。(北原白秋の時代に「小京都」という呼称があったのかどうかも私はわからないけれど。)

うーむ。わからなくなってきました。明治・大正から昭和にかけて、北原白秋のその時代、日本は欧風化が盛んだったのでしょうね。西洋に憧れが強かったのでしょう。だから、「日本ライン」の呼称も日本名にこだわる北原白秋を含めて大論争となったようです。単純に横文字をハイカラだと感じる人たちの受けを狙ったものだから?

空想はつきませんが、調べるのも今日はこの辺で終わっておきます。

 

wikiによると、「日本ライン」とは、「岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市までの峡谷の別称」だそうです。日本ライン下りはなくなりましたが、今は、美濃加茂市太田橋付近のリバーポートパークから犬山市桃太郎神社付近までのラフティングはあるそうです。