教養の 尺度は寛容さだと 母は言う
てれんぱれん
2024.3.13
どこの扉を叩いても開かない悪い時期っていうのは外へ向かおうとしてもドアが開かないから、じゃあどうすればいいのか、内に向かえっていう指令なんです。美・知識・教養・技術、そういう自分の財産を増やしておきなさい
感謝の念は教養の結実である
教養とは『何が大事で何が大事でないか』という価値判断、『絶対いる』『あったらいい』『端的になくていい』『絶対あってはならない』というのを即断せずに持続させるのに必要な『知性の体力』である
人は、より賢明に優しくなるにつれ、他者への寛容さを深めていく
教養ある人間は、他の人格を尊重し、したがって、常に寛大で柔和で腰が低いものである
本当の教養とは、知識を仕入れるよりも、自分なりの見方、考え方を獲得することではないだろうか
てれんぱれん
教養とは、自分の見方、考え方を持った人の他者への寛容さのこと
ではないかしら?
※先日、母との話で「教養」が話題となり、「教養があるとは?教養がないとは?どういうことか」を考えました。それで、自分なりの「教養」について、おこがましくも言ってみました。
2024.3.14 7時頃 今日も☀